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「気付き」が「研究」になるまで

 気付きやアイディアを研究にするのは,案外難しい。

 私が教えている文学部では,4年生の1年間をかけて卒業論文を書くが,「こういうことを研究したいんですけど……」から「これをこういう方法で調べると,こういうことが分かるはず!」にたどり着くまでに,学生とかなりの時間をかけて議論する。

もちろん,研究の主役は学生で,教員である私は「好きなものがあるなら,それを研究してみたら?」とそそのかすサポート役である。

 

 「名探偵コナン」という有名なマンガ・アニメ作品がある。

この作品の連載は1994年から30年近く続いており,社会の流れを反映して,作中の連絡手段が公衆電話からスマホに変わっていたりする。(しかし,作中の時間経過は実は1年に満たないとされている。)

 ……といったことは,この作品の大ファンである指導学生に聞いた話である。

 

 さて,この学生に「好きなことを研究したら?」と勧めたら,当然,「名探偵コナン」を日本語学的に分析したい,ということになった。

 「もう一回,通しで読んできます!」と言って帰った学生は,次の指導の際に,「連載期間を反映する形で,登場人物のセリフで使われる表現に変化が起こっているような気がする」という気付きを持ってきた。

 ここから,「「名探偵コナン」の作中の日本語には,変化が見られるかどうか?」という問題が設定できたわけである。

 

 ここまで決まれば研究はできたも同然だろうか?

 否。本番はここからである。具体的なデータを取るために,考えなければならないことはたくさんある。

 テーマによっては標準的な調査方法が存在する場合もあるが,今回のように前例がない場合,自分で何をどのように調査するかを決めなければならない。より適切な方法,すなわち,目的に合っていて,かつ論文の読み手や発表の聞き手に納得してもらえそうな形でデータを集め,分析する必要がある。ここからが大変である。

 

 まず,「変化」をどのように観察するか?

 調査対象を何冊くらい設定すればよいのか,「正解」はなさそうである。しかし,第1巻と最新刊の2冊を調べて「ここが違いました」でいいだろうか?

 いや,もちろん全巻見るのが理想的だろう。でも,それだときっと論文の締切に間に合わない。このような葛藤の中で,より説得的に「変化をこうやって見ました!」と言えそうな方法を考えることになる。

 

 誰のセリフを見ればよいか?

 登場人物がたくさんいる作品の場合,誰の発話を観察するのかを選ぶ必要がある。変化を見るのであれば,できるだけ作品に登場している期間が長く,かつ登場回数が多い人物がよいだろう。実際のところ,調査できそうな登場人物は何人ぐらいいるだろうか?

 ところで,どこからどこまでがその人物の「セリフ」なのだろうか?

 心内発話(心の声)は調査対象とした方がいいのだろうか? 眠っている人物の代わりに話している部分は?

 

 どのような言語現象を見るか?

 具体的に注目したい表現がいくつか出てきたものの,それらを全部調べられるかどうかは,最初の何冊調べるのかという問題と連動しそうである。「狭く深く」にするか「広く浅く」にするか,優先順位やバランスを決めなければならない。

 また,注目した現象は,学問的に何と呼べばよいのか?

 例えば自分を呼ぶ「俺」「私」ならば,作中の「一人称代名詞」を分析します,と言えばよい。では,第三者を表す表現まで,あるいは愛称まで含めて人を呼ぶ表現をまとめたい場合,適切な用語はあるのだろうか?

 

 そう,気付きをきちんと調べて研究にするためには,研究の設計と下調べが必要であり,理想と現実の間で揺れ動きながら,そのつど決断することになる。

 一つの“真実”を見つけるのは,けっこう大変なのであった。

 

茂木俊伸(熊本大学文学部・教授)