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日本語をどう見たか

言葉についての関心は、面白いことにブームのような形で巻き起こることが多いようです。日本語については「日本語ブーム」と呼ばれる現象が、近いところでは2000年代に生じました。『日本語練習帳』(1999)、『声に出して読みたい日本語』(2001)、『問題な日本語』(2004)といった書籍が相次いで刊行されたこともあり、日本語への関心が大いに高まったのです。現在よく目にする日本語に関するトリビア(雑学的な知識)についても、こうした時期に出された刊行物が、その典拠の一つになっています。

 

ところで、日本語そのものへの関心は、それこそ日本語ブームのように「ブーム」にまで至るものの、その日本語という言葉は一体どのように捉えられてきたのか、という点にまで関心が向くことはあまりないようです。これは、日本語への関心そのものに注目するということを意味しますが、考えてみれば、関心を向けているということ自体に関心があるというのも、少し変なことかもしれません。

日本語はどのような言語かということを研究する学問の一つに「日本語学(日本語の言語学)」がありますが、その中には、日本語学の歴史について考える「日本語学史」と呼ばれる分野があります。学問の歴史というと極めて小難しい感じがしますが、要は日本語をどのように捉えたのかを調べるというもので、日本語へのまなざしを問う学問です。

 

例えば、江戸時代の中頃、日本語は神の国の言葉であり、その音は世界に冠たる調べであると褒め称えた主張を試みた国学者がいました(「譬(たと)ヘバイトヨク晴タル天ヲ日中ニ仰ギ瞻(み)ルガ如ク。イササカモ曇リナク。又単直ニシテ迂曲(まが)レル事無クシテ。真ニ天地ノ間ノ純粋正雅ノ音也。」本居宣長『漢字三音考』)。また、逆に「ヨーロッパでは言語の明瞭であることを求め、曖昧な言葉を避ける。日本では曖昧な言葉が一番優れた言葉で、もっとも重んぜられている。」(ルイス・フロイス『日欧文化比較』)と日本語を評したキリシタン宣教師もいます。彼らの日本語に対するまなざしは、今日からすれば極端なもののように映るでしょうが、それでも日本語とは何なのかを真剣に問いかけた姿を垣間見ることができます。ちなみに、古文の授業で学ぶ用言・助動詞の活用や係り結びの法則などは、国学者たちの研究をもとに整理されたものです(そのおかげで古文が読めるようになったと肯定的に捉えるか、覚えるのが面倒な暗記事項をわざわざ用意するなんてと否定的に捉えるか、どちらかはお任せします)。

 

明治時代以降、日本人・日本国家のための言語である日本語という意識が強まるようになると、日本語は「国語」として取り上げられ、学校教育を通じて文学(国文)や歴史(国史)とならび認識されるようになりました。日本語への関心は古典の世界や日本の歴史とともに培われていったと言えるでしょう。

 

日本語へのまなざしに関しては、興味深いトピックが数多く存在します。先程から国学者について多く触れていますが、幕末に活躍した国学者の中には極めてユニークな日本語観をもった人がたくさんいます。また、外国人による日本語への観察も大変面白いもので、日本人が漢字を使うと「天性の聡明と才能を麻痺同様の状態」になってしまい問題であると、真顔で批判しています(フィッセル『日本風俗備考』)。視点を現代に向けてみますと、世界の中で「日本語」は、いったいどのようなイメージをもたれているのか気になりませんか。これは「言語意識」という研究分野も通じてきますが、やはり日本語へのまなざしを問うことにつながります。

 

さらに、日本語へのまなざしを人物本位でまとめていくと、今度は言葉にとりつかれたような人々が浮き上がってきます。端からみると変ですが、寝ても覚めても日本語のことを考え続けた国語学者がいました(現にいるかも知れません)。最初の本格的な国語辞書『言海』を編纂した大槻文彦という人は、「今語原に中毒して居るのだ」(高田宏『言葉の海へ』)と、どこへ行くにも仕事を抱えていたそうです。そんな学者たちの悲喜劇も日本語へのまなざしから浮かび上がってきます。

 

「〈日本語〉を見ること」に合わせて「〈日本語〉をどう見たのかを見ること」(回りくどい?)についても、関心を向けてもらえればと思います。

 

山東 功(大阪公立大学)