· 

あれあれ、二度もそんなこと…!

 「二度もぶった! 親父にもぶたれたことないのに!」アニメ『機動戦士ガンダム』の最も有名なセリフでしょう。第9話「翔べ!ガンダム」で、戦艦ホワイトベースからの出撃を嫌がる主人公アムロ・レイ。艦長のブライト・ノアに叱咤される中で平手打ちを食らった彼の言葉です。作品は未見でも、このセリフは知っているという方も多いのでは。ですが、今回取り上げるのは、それに続く二人のやり取り。

 

(1) ブ:それが甘ったれなんだ。殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか。

 

ア:もうやらないからな! 誰が二度とガンダムなんかに乗ってやるものか!

 

令和にあっては完全にアウトなブライトの言葉。とは言え、コンプラ的な問題を云々したいわけではもちろんありません。使われている表現について、それに先立つやり取りと併せて考えていきましょう。

 

 「二度もぶった」から分かるように、アムロ君、前のシーンで一度ぶたれています。「な、殴ったね」という彼の言葉に続けて、次の言葉が交わされます。

 

(2) ブ:殴ってなぜ悪いか! 貴様はいい。そしてわめいていれば、気分も晴れるんだからな。

 

ア:ぼ、僕が…そんなに安っぽい人間ですか!

 

 二つのやり取りについて、何か気づいたことはありませんか。勘の良い方はお分かりでしょう。2×2の発言の全てで反語が使われています。いずれも疑問の形をとりながら、そのことを否定し、(1)「どこにもいない」「乗ってやらない」、(2)「悪くない」「安っぽい人間ではない」と強く主張しています。“二度も反語で煽った”ブライトに対して、“二度も反語で返した”アムロ。ブライトは思ったかもしれません。「反語を反語で返すなあーっ!!」と(おっと、これは別の某作品でした)。

 

 この二つのやり取りには、違いもあります。そう。(1)の方は、どちらの発言にも「ものか」が用いられていますね。通常の疑問文は、疑問・反語の両方の解釈が可能です。(2)の「殴ってなぜ悪いか」は、反語以外の解釈が難しいと思いますが、「~安っぽい人間ですか」の方は、聞き手の認識を尋ねているとも考えられます。対して、(1)の「ものか」の文は、どちらも反語解釈が固定化しています

 

 「ものか」の文について、詳しく考えましょう。(1)の「~奴がどこにいるものか」は、問題ないとする方もいるでしょうが、私は若干違和感を覚えます。「どこに」を用いずに「~奴がいるものか」とするか、「ものか」を用いずに「~奴がどこに{いるのか/いるのだ(いるんだ)}」とした方が自然に感じられます。ここから、違和感の原因は「どこに」と「ものか」を一緒に用いていることだと考えられます。

 

 疑問文の反語解釈に関する研究(注1)では、疑問詞疑問文で「誰」や「何」が用いられる場合、主語の位置に現れることが多いと指摘されています。また、「どこ」は、存在動詞が述語となる場合に反語解釈を持つとされています。『ガンダム』全43話のセリフにも、このような傾向が見られました。

 

(3) 誰が砲塔を狙えと言った!(第32話)

(4) てめえみたいなヒヨッコに何が分かるんだ!(第13話)

(5) あんな地方の前進基地を叩く必要がどこにある!(第13話)

 

対して、「誰」や「何」は、目的語の位置には現れにくく、「どこ」は、移動動詞の着点を表す場合は反語解釈に転換しにくいとされており、「ものか」はこの制限が強いようです(注2)。

 

(6)a. 誰が来るものか

b. *太郎が何を食べるものか

c. ??太郎がどこへ行くものか

 

※「*」は文法的に不適格なこと、「??」はかなり不自然なことを表す。

 

(1)の「~奴がどこにいるものか」は、「どこ」が存在動詞と共に用いられているので、移動動詞と共に用いられている(6c)ほどの不自然さは感じられませんが、(6a)のように疑問詞が主語の位置に現れてはいません。違和感を覚えるのは、そのためだと考えられます。(5)のように、通常の疑問文では、「どこ」が存在の場所を表す場合は問題なく用いられますが、「ものか」はより制限が強いのでしょう。

 

 一方、(1)の「誰が二度と~乗ってやるものか」には、より強い違和感を覚えます。この文は、「誰」が主語の位置に現れているので、「ものか」の使用自体は問題ありません。問題は、「誰が」と「二度と」を一緒に用いていることです。「誰が~乗ってやるものか」「二度と~乗ってやるものか」のように、どちらかだけを用いた文が自然でしょう。「誰が~」は、「誰も~ない」という全量否定の解釈に転換することで反語文になり、絶対にないという強い否定を表します。「二度と」は、そのことは今回が最後で、今後は絶対にないという意味の語で、「二度とやるか」のように疑問文で用いられると、それが反語文になり、「二度とやらない」という強い否定を表します。このように両者は同種の働きを持つため、一緒に用いられると違和感が生じるのだと考えられます。

 

 もっとも、私の内省だけでは客観性に欠けるので、実例を調べてみましょう。国立国語研究所の『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(BCCWJ)を検索したところ、反語を表す「ものか」が「どこ」と共に用いられている例は、次のものを含む4例のみでした。いずれも存在動詞の例で、うち3例が夏目漱石の作品のものです。

 

(7) 「あんな親がどこにいるものか。鬼だ。鬼の親だ」(山田風太郎『達磨峠の事件』)

 

(8) 「…あんなやつの娘をもらう馬鹿がどこの国にあるものか、…」(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 

 

また、「誰が」と「二度と」が一緒に用いられている例は、一つもありませんでした

 

 さらに、「青空文庫」の収録作品を検索したところ、反語を表す「{いる/ある}ものか」が「どこ」と共に用いられている例が、ある程度の数見られました。ここでも、夏目漱石の作品の例が最も多く、その他では、「どこの世界に~」という例が高い割合を占めています。

 

(9) 「どこの世界に井戸側へ梯子をかけて身投げをする子供があるものか」(野村胡堂「銭形平次捕物控 ガラッ八手柄話」)

 

固定的な表現が多く、作家の個人的な好みという側面もありますが、明治期から昭和初期には、反語を表す「ものか」が「どこ」と共に用いられやすかったと推測されます。年代別に用例を収集して、使用数や用いられ方の変遷を調べてみる必要があります。

 

 いかがでしたか。文法的には少々引っかかる(1)の「ものか」の文ですが、作品のセリフという点では、味わい深さを感じます。台本(注3)を確認してみると、二つともこの形になっており、偶発的な表現とは考えられません。『ガンダム』の特徴として、セリフの「芝居がかった感じ」が挙げられ、その要因の一つに倒置法の多用があることが指摘されています(注4)。単独でも反語と解釈される表現を重ねて用いた文も、それに一役買っていると言えそうです。

 アニメやドラマ等のセリフでは、通常の文法規則から逸脱した表現が様々な効果を生んでいます。皆さんも気になる表現を見つけたら、内省をもとに仮説を立て、コーパス等を使って検証してみてください。あ、言葉に気を取られてストーリーに集中できなくなったという苦情は受け付けませんので、悪しからず。

 

高田 祥司(秀明大学)

 

1 安達太郎(2004)「疑問文における反語解釈をめぐる覚え書き」『京都橘女子大学研究紀要』31, pp.250-235.

2 例文とその文法性判断は安達(2004)による。

3 日本サンライズ(1980)『機動戦士ガンダム台本全記録』.

4 川添愛(2025)『パンチラインの言語学』朝日新聞出版.