「初めて見たことない」―4歳の娘が、ときどきそう言います。最初に聞いたときは、思わず「え?」と聞き返してしまいました。よく考えてみると、これは「初めて見た」と「(これまでに)見たことない」という、意味の近い二つの表現が混ざり合ってできたもののようです。
私は、鹿児島県の離島である奄美大島や喜界島で話されていることばを、フィールドワークを通して研究しています。現地に足を運び、方言を話す方に「これは方言で何と言いますか」と尋ねたり、ふだん通りに話してもらって録音・書き起こしをしたりしながら、そのことばの背景にあるパターンやルールを明らかにしていく仕事です。
一方で、こうした研究をしていると、日常生活そのものもひとつの「フィールド」なのだと感じることがあります。娘の発話を聞いていると、方言調査で出会うのと似たようなおもしろいパターンやルールに、たびたび気づかされるのです。
冒頭の「初めて見たことない」以外にも、娘の発話には、同じ意味を二重に表してしまうような例があります。例えば、物語を自分で創作したときに、「死んじゃってしまいました」と言うことがあります。「死んじゃう」は「死んで」+「しまう」が縮まった形なので、この時点ですでに「〜てしまう」の意味(完了、あるいは「うっかり」「残念ながら」というニュアンス)が含まれています。そこにさらに「〜てしまいました」を重ねているので、同じ意味の要素を二度使っていることになるわけです。
こうした「二重マーキング」は、子どもの言語習得において、他言語でも見られる現象のようです。例えば、英語を身につけていく子どもの発話においては、"Nobody likes me."と言うべきところ、"Nobody doesn't like me."のように否定を二重に表してしまう例や、"go"の過去形を"went"とすべきところ、これに規則的な過去形をつくる語尾"-ed"をつけて"wented"と言ってしまう例が報告されています。
さらに興味深いのは、この「同じ意味のことを二回表現する」現象が、子どもの言語習得だけにとどまらず、方言のルールとして定着してしまうこともあるという点です。私が調査している奄美大島の方言では、「あの人の〇〇」と言うときに、「アッカン〇〇」という言い方をすることがあります。「アッカン」は「あれ」+「が」+「の」に当たる言い方です。「が」も「の」も、本来はどちらも名詞を修飾する(「〜の」という意味を表す)働きを持つ助詞であったと考えられます。ここでも同じ機能を持つ要素が二重に使われていることになります。
このような二重マーキングの背景には、より広く用いられる生産的なパターンが、そうでないものに影響したことが考えられます。例えば、上記の"wented"であれば"went"の過去形の作り方は不規則なのに対し、"-ed"をつけるやり方は生産的です。奄美大島方言の場合も、「が」由来の助詞で名詞修飾を表すのは珍しく、「の」由来の助詞を使う方が生産的だったことが考えられます。
生産的なパターンが影響する、という点で、子どもの言語習得の過程でよく知られている現象に、「死ぬ」を「死む」と言ってしまうというものもあります。日本語の動詞の中で、「死ぬ」のように「ぬ」で終わる動詞は珍しく、「飲む」「噛む」のような「む」で終わる動詞のほうがずっと多く存在します。「死ぬ」は過去形にすると「死んだ」であり、「飲んだ」「噛んだ」と同様の形になることから、子どもはより一般的な「む」動詞のパターンを当てはめてしまい、「死む」「死まない」という言い方をつくり出すのです。私の娘も、しっかり「死む」「死まない」と言っています。
これと似たパターンが、方言の中で定着している例もあります。喜界島の方言では、地域によって、「死なない」を「シガー」と言うことがあります。共通語の「死ぬ」との対応で歴史的に考えると、「シナー」などとなりそうですが、そうなっていません。これは、「漕ぐ」のように、共通語で言うと「ぐ」で終わる動詞のパターンを当てはめたためと考えられます。子どもの言語習得の過程で一時的に起こることが、ことばの変化の過程で固定化してしまうこともあると言えます。
先日は、娘が、「あれ取ってちょうだい」という意味で、「あれ取ってくれて」と言ったことがありました。これは、「取って」「見せて」のように、動詞の「〜して」の形を命令や依頼に使う生産的なパターンを、「くれる」にも当てはめてしまったものと考えられます。
「くれる」という動詞の命令形「くれ」が不規則であることはよく知られています。「食べろ」「見ろ」などから考えると、「くれろ」となるはずですが、そうはなっていない、ということです。このことは、私自身、前から知っていました。一方で、「〜して」の形を命令・依頼として使う、というパターンが「くれる」には当てはまらないことには、娘の一言を聞くまで気づいていませんでした。このように、幼児のことばづかいからは、母語話者自身も意識していなかったことばのルールが、思いがけず見えてくることがあります。
子どものことばも、方言も、なにげない会話の中にこそ、未知のパターンやルールが眠っているのです。みなさんも、身の回りの日常のことばに、少し耳を傾けてみてください。
白田 理人(広島大学)